日本の女子サッカーは負けるべくして負けたようです。監督が変わらず、選手が変わらず、戦法は変わらず、相手は研究してそれらを変えているのに・・・。アメリカに完敗した教訓が生かさていないようです。監督から上の幹部の怠慢以外のなにものでもあるまい。
後継者を育てず、学習もせず、ひたすら成功体験の長期にわたるトップ、周囲のモチベーションが下がるのは必然であろう。企業も同じでそれがわからないの感性の問題・・・。
さて引っ越しに際して郷里から持ってきた作品の中に自作の作品が混じっておりました。数は非常に少ないのですが、自作の作品の中から使えそうなものだけを選んで郷里から送りました。
「蕗文様角皿」ですが、秋田市の保戸野窯で制作した作品で、平成元年頃に作ったものです。もう25年以上前のことになります。
工房の庭先に生えていた蕗を素焼きの状態の作品に張り付けて、鉄と呉須の釉薬を手吹きで吹き付け文様を出した作品で即興的に作ったように記憶しています。さらに透明釉を・・。
萩焼のような土をたたらつくりで板状に作り、工房の手元近くにあった布を当てて文様を出したことが記憶にあります。たたらの厚さも均一では面白くないように思い厚さに変化をつけました。
もの作りは二つに分類されます。計算しつくして作るものと即興的につくるものと・・・。いいものができる確率はほぼ同じであろうと思っています。
おそらく一流のプロは計算しつくしてものを使るのでしょうが、思うにきっと超一流のプロによる一級品は即興的な偶発によるものだと思います。その偶発は感性の高さから生まれてくる必然性のものでもあるように思います。
ちなみに経営トップに向いているのは即興性、思いつきの感性のレベルの高い人らしい。さらには人生の達人は感性の高い人・・・、計算づくでいかないのが人生・・。右に行くか、左に行くか、常識のとらわれない運のよい判断をするのは感性の高い人であろうと推察します。そう・・、常識にとらわれない感性が肝心なよう・・。今のままでよいという観点からはいいものは作れないのは確かです。
郷里の知り合いの大工さんに作ってもらった箱に収納していますが、小生が亡きあとは誰の作かも忘れ去られてしまうのでしょう。小生の父は私が小学校の時に亡くなっていますが、父の絵の作品は母が遺してくれていましたが・・・・。
本日の作品は奥村厚一の作品「その7」です。
緑雨 奥村厚一筆 その7(整理番号)
絹本着色軸装 共箱 高島屋シール
全体サイズ:縦1810*横900 画サイズ:縦595*横720
今まで紹介しきた作品は小さめの作品やスケッチでしたが、このたびは大きめの作品です。「主に風景画を得意とし、大きな作品はもとよりスケッチも味わい深い。」の奥村作品の評にはあります。
それほど著名な画家ではありませんが、根強い人気があり、思文閣の資料墨蹟目録にもときおり掲載されています。
昭和23年、上村松篁・福田豊四郎、吉岡堅二らと在野日本画団体の創造美術を創設しており、本ブログに投稿されている作品の基軸となる福田豊四郎と関連性の高い画家の一人ですです。
雨や雪、雲や風といったものを描くときには、それを写実的に捉えるのではなく気配とか空気感とでも言うような目には見えないものの表現によった作家といえるでしょう。
彼自身の言葉に「絵は方便みたいなもので、いつも野山を巡り、自然にただ身をよせていたかっただけ」とあるように、実にこよなく自然を愛した画家です。ゴルフ場を自然と勘違いしている現代の人々にはこの感覚は理解できないでしょう。
彼が愛し見つめ続けた風景は、数多くのスケッチとして遺されており、晩年の椿の花のスケッチなどは椿の様々なな咲き様を艶やかに描きとめていて、すでに完成作品かと見まがうほどに見事なスケッチとなっています。
ちなみに高島屋のシールなどはまったくあてになりません。
自然を味わうには山を単独行で縦走したりしてみることです。雨や雪、小鳥のさえずり、星の輝きなどまったく違うものが見えてくるはずです。
そしてそれを描いた作品を飾るときもそれを味わえるように飾る工夫をするようになります。
これらもまた計算しつくされたというより、感性のように思います。古くかある普通の床の間ではつまらないものです。
さて、いつまで同じメンバーで、同じ監督で、同じ戦法で女子サッカーは試合を続けるのだろうか? 企業も同じ教訓を学ぶべきであろう。今のままで慣れきったものには自然は味わえず、将来への感性も身につかないものです。
後継者を育てず、学習もせず、ひたすら成功体験の長期にわたるトップ、周囲のモチベーションが下がるのは必然であろう。企業も同じでそれがわからないの感性の問題・・・。
さて引っ越しに際して郷里から持ってきた作品の中に自作の作品が混じっておりました。数は非常に少ないのですが、自作の作品の中から使えそうなものだけを選んで郷里から送りました。
「蕗文様角皿」ですが、秋田市の保戸野窯で制作した作品で、平成元年頃に作ったものです。もう25年以上前のことになります。
工房の庭先に生えていた蕗を素焼きの状態の作品に張り付けて、鉄と呉須の釉薬を手吹きで吹き付け文様を出した作品で即興的に作ったように記憶しています。さらに透明釉を・・。
萩焼のような土をたたらつくりで板状に作り、工房の手元近くにあった布を当てて文様を出したことが記憶にあります。たたらの厚さも均一では面白くないように思い厚さに変化をつけました。
もの作りは二つに分類されます。計算しつくして作るものと即興的につくるものと・・・。いいものができる確率はほぼ同じであろうと思っています。
おそらく一流のプロは計算しつくしてものを使るのでしょうが、思うにきっと超一流のプロによる一級品は即興的な偶発によるものだと思います。その偶発は感性の高さから生まれてくる必然性のものでもあるように思います。
ちなみに経営トップに向いているのは即興性、思いつきの感性のレベルの高い人らしい。さらには人生の達人は感性の高い人・・・、計算づくでいかないのが人生・・。右に行くか、左に行くか、常識のとらわれない運のよい判断をするのは感性の高い人であろうと推察します。そう・・、常識にとらわれない感性が肝心なよう・・。今のままでよいという観点からはいいものは作れないのは確かです。
郷里の知り合いの大工さんに作ってもらった箱に収納していますが、小生が亡きあとは誰の作かも忘れ去られてしまうのでしょう。小生の父は私が小学校の時に亡くなっていますが、父の絵の作品は母が遺してくれていましたが・・・・。
本日の作品は奥村厚一の作品「その7」です。
緑雨 奥村厚一筆 その7(整理番号)
絹本着色軸装 共箱 高島屋シール
全体サイズ:縦1810*横900 画サイズ:縦595*横720
今まで紹介しきた作品は小さめの作品やスケッチでしたが、このたびは大きめの作品です。「主に風景画を得意とし、大きな作品はもとよりスケッチも味わい深い。」の奥村作品の評にはあります。
それほど著名な画家ではありませんが、根強い人気があり、思文閣の資料墨蹟目録にもときおり掲載されています。
昭和23年、上村松篁・福田豊四郎、吉岡堅二らと在野日本画団体の創造美術を創設しており、本ブログに投稿されている作品の基軸となる福田豊四郎と関連性の高い画家の一人ですです。
雨や雪、雲や風といったものを描くときには、それを写実的に捉えるのではなく気配とか空気感とでも言うような目には見えないものの表現によった作家といえるでしょう。
彼自身の言葉に「絵は方便みたいなもので、いつも野山を巡り、自然にただ身をよせていたかっただけ」とあるように、実にこよなく自然を愛した画家です。ゴルフ場を自然と勘違いしている現代の人々にはこの感覚は理解できないでしょう。
彼が愛し見つめ続けた風景は、数多くのスケッチとして遺されており、晩年の椿の花のスケッチなどは椿の様々なな咲き様を艶やかに描きとめていて、すでに完成作品かと見まがうほどに見事なスケッチとなっています。
ちなみに高島屋のシールなどはまったくあてになりません。
自然を味わうには山を単独行で縦走したりしてみることです。雨や雪、小鳥のさえずり、星の輝きなどまったく違うものが見えてくるはずです。
そしてそれを描いた作品を飾るときもそれを味わえるように飾る工夫をするようになります。
これらもまた計算しつくされたというより、感性のように思います。古くかある普通の床の間ではつまらないものです。
さて、いつまで同じメンバーで、同じ監督で、同じ戦法で女子サッカーは試合を続けるのだろうか? 企業も同じ教訓を学ぶべきであろう。今のままで慣れきったものには自然は味わえず、将来への感性も身につかないものです。