久方ぶりに子供の遊び場と義父の昼寝場所と化した茶室の掛け軸を変えました。ついでに香炉も・・。
上記の作品は以前に古清水のように紹介して投稿しましたが、それは恥ずかしながら間違いです。どうも近代の清水らしいです。色絵部分の釉薬がうすく、透けてその下が見えるのが判別の大きなポイントのようです。基本的なことを知らずにいたのは赤面の至り・・。ともかく骨董は毎日が新しい知識に巡り合うことばかりです。
本日は本ブログではお馴染みの郷里出身の画家の寺崎廣業の作品です。小作品ばかりですが、もはや「その53」となり、福田豊四郎、源内焼、浜田庄司らと並ぶ作品数になりました。
黄初平 その3 寺崎廣業筆 その53
紙本水墨軸装 軸先竹製 合箱入
全体サイズ:縦950*横420 画サイズ:縦160*横270
おそらく画帳から取り出されて軸装にされた作品のようです。
寺崎廣業の描いた「黄初平」の作品は本ブログに投稿された作品でも三作品目ですので、多く描いた画題であろうかと推察されます。
凡人には岩にしか見えないものが、羊になるという逸話を描いた作品ですが、意図するところは奥深いもののようです。
岩が一万頭もの羊になることから「富を生む吉祥図」として好まれたようですが、実際の意図するところには「この世を支配する物質界から眼を広げよ。」という意味もあるようです。
当時は吉祥図として好まれたのでしょう。中国では黄大仙(道教系寺院)に本尊として祀られ、日本では黄初平は「すべての願いを叶える神」として解釈され、縁起のよい仙人として数多く描かれました。
小点ながら品の良い表具となっており、茶室の掛け軸としては、その表面的な意図よりも隠された奥深い意図の軸として扱いたいものです。
ところで茶室の床の掛け軸を掛ける高さの調整には竹のものを使いたいですね。
物質界そのものの骨董の世界、奥深いところまで学ばないといけないようです。
上記の作品は以前に古清水のように紹介して投稿しましたが、それは恥ずかしながら間違いです。どうも近代の清水らしいです。色絵部分の釉薬がうすく、透けてその下が見えるのが判別の大きなポイントのようです。基本的なことを知らずにいたのは赤面の至り・・。ともかく骨董は毎日が新しい知識に巡り合うことばかりです。
本日は本ブログではお馴染みの郷里出身の画家の寺崎廣業の作品です。小作品ばかりですが、もはや「その53」となり、福田豊四郎、源内焼、浜田庄司らと並ぶ作品数になりました。
黄初平 その3 寺崎廣業筆 その53
紙本水墨軸装 軸先竹製 合箱入
全体サイズ:縦950*横420 画サイズ:縦160*横270
おそらく画帳から取り出されて軸装にされた作品のようです。
寺崎廣業の描いた「黄初平」の作品は本ブログに投稿された作品でも三作品目ですので、多く描いた画題であろうかと推察されます。
凡人には岩にしか見えないものが、羊になるという逸話を描いた作品ですが、意図するところは奥深いもののようです。
岩が一万頭もの羊になることから「富を生む吉祥図」として好まれたようですが、実際の意図するところには「この世を支配する物質界から眼を広げよ。」という意味もあるようです。
当時は吉祥図として好まれたのでしょう。中国では黄大仙(道教系寺院)に本尊として祀られ、日本では黄初平は「すべての願いを叶える神」として解釈され、縁起のよい仙人として数多く描かれました。
小点ながら品の良い表具となっており、茶室の掛け軸としては、その表面的な意図よりも隠された奥深い意図の軸として扱いたいものです。
ところで茶室の床の掛け軸を掛ける高さの調整には竹のものを使いたいですね。
物質界そのものの骨董の世界、奥深いところまで学ばないといけないようです。