週末は山林へ山椒採りと筍採り・・。
他の方々も・・。
小生は息子の子守・・。
飽きてくると竹林探索・・。
急斜面にクマガイソウ群落発見・・、東京都内にここにしかないらしい。絶滅危惧種であり、採って行ってはいけません。
ここは小生と息子ら家族だけの秘密の場所、息子も探索・・。
まだ蕾の花筏発見・・・、珍しいらしい。
自然の中で遊べや遊べ・・・、とはいえお手伝い・・。
採った山椒は佃煮に・・。家中が香りで満ち溢れています。筍は先週も収穫しているので食いきれずに近所へ配ってしまいました。
さて、本日は青手九谷の作品です。ちょっと時代にある九谷の鶴首の作品は珍しいのと絵柄が気に入っています。
青手九谷 鶴首花入
合箱入
口径約*胴径85*底径*高さ185
古九谷、吉田屋窯、松山窯で青手九谷が作陶されたとされていますが、骨董として取引される青手九谷うち、古九谷では350年を経ているため多くが伝世されているとは考えにくいものです。
吉田屋窯では購入時に日用品であるのに箱書きとしてその名を記したとは思われません。松山窯は官営であったため多くが作られたとは思われず、また全般に後世のように作者名が有ったわけではないため、結局伝世の青手九谷の真贋は決めがたいとされています。市場でこれら窯として取引される伝世品の多くが、次の明治以降のものである可能性が高いと思われています。
さてそんなことよりこの図柄。
首が破損した補修がありますし、首が傾げていますがご愛嬌・・・・。
青手は、色使いは五彩手と似ていますが、素地の白磁の質がやや下がり、素地の欠点を隠すように、青、黄、緑、紫などの濃彩で余白なく塗りつぶした様式です。要は満遍なく釉薬が掛けられ絵が描かれているのは、胎土の粗悪さを隠すため??
九谷は古九谷、再興九谷以降は極端なことを言うと、まったくいい作品が在りませんが、このような図柄はいいものと改めて見直しました。
高台内は約束どおり角福の文字・・・、いつの時代の作品でも青手九谷と称される作品の高台の中には、「角福」と呼ばれる二重四角の中に福の吉祥字のある銘を持つものが多いようです。
皿などの口縁もそうですが、口に回りは褐色釉薬・・、これは以外に知らない約束事のようですが、要はこれも素地の粗悪さを隠すためらしい。
古い作に鶴首のような作品があったのかどうかは不明ですが、小振りな鶴首のほうが使い勝手いいものですが、大振りな花瓶などは値段だけ高くて意外に使い道がないものです。
明治政府は、開国に沿って殖産興業を推進し伝統工芸品の輸出を奨励し、そのため九谷では各国の博覧会に出展し名声を得、多くを輸出しました。明治前期には九谷焼の8割が輸出に回され輸出陶磁器の1位を占めるようになり、「ジャパン クタニ」のブランドはいやが上にも高まりました。
現存する半陶半磁を呈する骨董としての青手九谷の多くがこの時期のものと推量され、また明治前期に輸出された九谷が逆輸入されているものも多いそうです。本作品も古くてもその時期の作と推察されます。
継がれて傾げた首は考え事をしているかのよう・・。
遊べや遊べ・・、骨董・・・。
庭に咲いていた牡丹をこの花入に活けてみました。そう獅子に牡丹・・、この関係は本ブログにて説明
倉庫改修で造ったこの円窓。狙いのひとつは棚板に石を使ったこと、花入が石の面に写りこむ。
円窓が陽の翳りで二重や三重の円を成す。
意図するところは他人はあまり気がつかいてくれないようです
遊べや遊べ・・、ものづくり・・・。
PS:この鶴首の花入が古九谷か? 再興九谷か? 結局のところ、首が破損してかしげている姿、絵の文様が面白いという結論のみ。
他の方々も・・。
小生は息子の子守・・。
飽きてくると竹林探索・・。
急斜面にクマガイソウ群落発見・・、東京都内にここにしかないらしい。絶滅危惧種であり、採って行ってはいけません。
ここは小生と息子ら家族だけの秘密の場所、息子も探索・・。
まだ蕾の花筏発見・・・、珍しいらしい。
自然の中で遊べや遊べ・・・、とはいえお手伝い・・。
採った山椒は佃煮に・・。家中が香りで満ち溢れています。筍は先週も収穫しているので食いきれずに近所へ配ってしまいました。
さて、本日は青手九谷の作品です。ちょっと時代にある九谷の鶴首の作品は珍しいのと絵柄が気に入っています。
青手九谷 鶴首花入
合箱入
口径約*胴径85*底径*高さ185
古九谷、吉田屋窯、松山窯で青手九谷が作陶されたとされていますが、骨董として取引される青手九谷うち、古九谷では350年を経ているため多くが伝世されているとは考えにくいものです。
吉田屋窯では購入時に日用品であるのに箱書きとしてその名を記したとは思われません。松山窯は官営であったため多くが作られたとは思われず、また全般に後世のように作者名が有ったわけではないため、結局伝世の青手九谷の真贋は決めがたいとされています。市場でこれら窯として取引される伝世品の多くが、次の明治以降のものである可能性が高いと思われています。
さてそんなことよりこの図柄。
首が破損した補修がありますし、首が傾げていますがご愛嬌・・・・。
青手は、色使いは五彩手と似ていますが、素地の白磁の質がやや下がり、素地の欠点を隠すように、青、黄、緑、紫などの濃彩で余白なく塗りつぶした様式です。要は満遍なく釉薬が掛けられ絵が描かれているのは、胎土の粗悪さを隠すため??
九谷は古九谷、再興九谷以降は極端なことを言うと、まったくいい作品が在りませんが、このような図柄はいいものと改めて見直しました。
高台内は約束どおり角福の文字・・・、いつの時代の作品でも青手九谷と称される作品の高台の中には、「角福」と呼ばれる二重四角の中に福の吉祥字のある銘を持つものが多いようです。
皿などの口縁もそうですが、口に回りは褐色釉薬・・、これは以外に知らない約束事のようですが、要はこれも素地の粗悪さを隠すためらしい。
古い作に鶴首のような作品があったのかどうかは不明ですが、小振りな鶴首のほうが使い勝手いいものですが、大振りな花瓶などは値段だけ高くて意外に使い道がないものです。
明治政府は、開国に沿って殖産興業を推進し伝統工芸品の輸出を奨励し、そのため九谷では各国の博覧会に出展し名声を得、多くを輸出しました。明治前期には九谷焼の8割が輸出に回され輸出陶磁器の1位を占めるようになり、「ジャパン クタニ」のブランドはいやが上にも高まりました。
現存する半陶半磁を呈する骨董としての青手九谷の多くがこの時期のものと推量され、また明治前期に輸出された九谷が逆輸入されているものも多いそうです。本作品も古くてもその時期の作と推察されます。
継がれて傾げた首は考え事をしているかのよう・・。
遊べや遊べ・・、骨董・・・。
庭に咲いていた牡丹をこの花入に活けてみました。そう獅子に牡丹・・、この関係は本ブログにて説明
倉庫改修で造ったこの円窓。狙いのひとつは棚板に石を使ったこと、花入が石の面に写りこむ。
円窓が陽の翳りで二重や三重の円を成す。
意図するところは他人はあまり気がつかいてくれないようです
遊べや遊べ・・、ものづくり・・・。
PS:この鶴首の花入が古九谷か? 再興九谷か? 結局のところ、首が破損してかしげている姿、絵の文様が面白いという結論のみ。