原稿を休日に書き溜めているので、投稿し忘れている原稿もあります。
ひとつ気前の5月の連休前でしたが、週末に強風の中を博物館まで出かけてきました。天気の悪い休日は人も少なくじっくり見られるからです。
青磁蓮弁紋鉢・・、鈍翁の愛蔵の作品。
見事に銀化した唐時代の作品。
このような作品をじっくり見られて、なおかつ写真撮影もオーケーなのは嬉しい展示会です。本などで見るより実物を見るのが一番ですが、それでも直に触れられないと本当は作品をわかることはできないのですが・・。そう、実際に購入して自分のものにしないと作品は結局は理解できていないものです。
展示の中に幾つかの明末の赤絵の見事な作品がありました。
この作品は俗に言う「明末呉須赤絵」という作品群に属します。
他にも宋赤絵の作品があり、安田靭彦の愛蔵の作品らしいです。
閑話休題、本日はその流れの中にあるらしい?赤絵の作品の紹介ですが、「氏素性の解らぬ作品」です。
展示作品とは比べ物にならない下手な作品?で、「南京赤絵」として売られていましたが、南京赤絵というより形の面白さに惹かれての購入です。つけまつげ?の龍がなんとも・・・。
氏素性の解らぬ作品 伝南京赤絵 雲流文様変形鉢
合箱
幅205*奥行123*高さ45
高台内には署名はなく、砂付高台と断定できるものでもなく、虫喰も顕著ではない。
明末から清朝にかけての赤絵とのことですが、写しも多いので断定はできません。おそらく古くても清朝・・。
虫喰がさほどないことから時代の下がった清初めの赤絵の作と推察されます。南京赤絵という説明で売られていましたが、分類上は色調からは「五彩」が適切かもしれません。
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南京赤絵:350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。
17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅したが、民窯はしたたかに生き残りむしろ自由闊達な赤絵を作りはじめた。これを南京赤絵という。
南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びていて、これは色彩を一層際立たせる効果があります。絵付けには基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色され、その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放です。その後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な作風へ変化しました。
当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多い。ところが日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。
デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。これは南京赤絵の手法です。高台内は車輪高台で、砂付高台。評価は寸法によって大いに違い、辺20センチ程度のものはかなり高価で、辺12センチの同じような皿だと30万円程度になる。
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五彩のような余白が少ないものでもなく、南京赤絵のように余白を生かしたものでもなく、判断は難しいですが今のところ時代の下がった「南京赤絵」という当方のジャッジですが、最終的にはもう少し勉強してみる必要があるようです。
数千円で入手できる清朝の模倣品でも近年は「時代がある骨董品」として扱ってもおかしくない時代になってきました。
氏素性の解らぬもので遊ぶのも恥ずかしながら小生の骨董の守備範囲・・・。
昨夜は若い女性に誘惑されるという滅多に見ない色っぽい夢、昨夜は赤坂で元同僚らと飲みすぎたか? はたまたこの器の龍のお誘いか? クワバラクワバラ・・・
ひとつ気前の5月の連休前でしたが、週末に強風の中を博物館まで出かけてきました。天気の悪い休日は人も少なくじっくり見られるからです。
青磁蓮弁紋鉢・・、鈍翁の愛蔵の作品。
見事に銀化した唐時代の作品。
このような作品をじっくり見られて、なおかつ写真撮影もオーケーなのは嬉しい展示会です。本などで見るより実物を見るのが一番ですが、それでも直に触れられないと本当は作品をわかることはできないのですが・・。そう、実際に購入して自分のものにしないと作品は結局は理解できていないものです。
展示の中に幾つかの明末の赤絵の見事な作品がありました。
この作品は俗に言う「明末呉須赤絵」という作品群に属します。
他にも宋赤絵の作品があり、安田靭彦の愛蔵の作品らしいです。
閑話休題、本日はその流れの中にあるらしい?赤絵の作品の紹介ですが、「氏素性の解らぬ作品」です。
展示作品とは比べ物にならない下手な作品?で、「南京赤絵」として売られていましたが、南京赤絵というより形の面白さに惹かれての購入です。つけまつげ?の龍がなんとも・・・。
氏素性の解らぬ作品 伝南京赤絵 雲流文様変形鉢
合箱
幅205*奥行123*高さ45
高台内には署名はなく、砂付高台と断定できるものでもなく、虫喰も顕著ではない。
明末から清朝にかけての赤絵とのことですが、写しも多いので断定はできません。おそらく古くても清朝・・。
虫喰がさほどないことから時代の下がった清初めの赤絵の作と推察されます。南京赤絵という説明で売られていましたが、分類上は色調からは「五彩」が適切かもしれません。
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南京赤絵:350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた南京赤絵。
17世紀に入ると各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退しその結果景徳鎮の官窯は消滅したが、民窯はしたたかに生き残りむしろ自由闊達な赤絵を作りはじめた。これを南京赤絵という。
南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びていて、これは色彩を一層際立たせる効果があります。絵付けには基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色され、その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放です。その後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な作風へ変化しました。
当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多い。ところが日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿中皿など食器が多い。
デザインも日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。これは南京赤絵の手法です。高台内は車輪高台で、砂付高台。評価は寸法によって大いに違い、辺20センチ程度のものはかなり高価で、辺12センチの同じような皿だと30万円程度になる。
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五彩のような余白が少ないものでもなく、南京赤絵のように余白を生かしたものでもなく、判断は難しいですが今のところ時代の下がった「南京赤絵」という当方のジャッジですが、最終的にはもう少し勉強してみる必要があるようです。
数千円で入手できる清朝の模倣品でも近年は「時代がある骨董品」として扱ってもおかしくない時代になってきました。
氏素性の解らぬもので遊ぶのも恥ずかしながら小生の骨董の守備範囲・・・。
昨夜は若い女性に誘惑されるという滅多に見ない色っぽい夢、昨夜は赤坂で元同僚らと飲みすぎたか? はたまたこの器の龍のお誘いか? クワバラクワバラ・・・