天野方壷の四幅対の作品の保存箱が出来上がってきました。この作品がどうこれから評価されていくのかは、小生の知るところではありませんが、天野方壷の作品の中で最高の出来であることには相違ないと確信しています。
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自分の見識の範囲で粗雑に扱われていた作品をきちんと遺せるものとしておきたいと思います。四幅対の保存箱は既製品にはないので、特注品でけっこうお高くつきました。
さて本日の作品は同じく四幅対の貴重な作品です。
寺崎廣業は宴会、旅先での席画が得意であったらしく、地方の老舗旅館などに彼の水墨画をよく見かけます。それらの作品はとるに足らないつまらない作品が多く、もう少しいい作品を飾ったらいいのにと思うには小生だけではないようです。
存命中は懐も潤沢な画家であったとみえて、千坪の邸宅を構え、欄干のついた数十畳の画室兼客間で、相撲取や芸人に取り巻かれ、庭前には篝火をたき、日本橋の美妓を大勢並べて豪奢な酒宴を張るという生活ぶりだったようです。田舎の成り上がり者の典型です。
いろんな意味での大衆文化の代表格の画家で、多作で雑な絵も多いので現在では非常に評価の低い画家になっています。「なんでも鑑定団」の評価を鵜呑みにしてはいけません。
それでもそれなりにその時代に評価されているのは、なかには良い作品をたくさん描いていたからでもあります。贋作、駄作の多い画家ですので選り好みをきちんとするといい作品があるようです。
本日はその寺崎廣業が日露戦争に従軍した時に描いた珍しい肉筆の作品です。
日露戦争従軍図 四福対 寺崎廣業筆 その54
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合箱入
全体サイズ:縦970*横385 画サイズ:縦245*横315
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1904年(明治37年)には日露戦争(1904年(明治37年)2月8日~1905年(明治38年)9月5日)の従軍画家となり、その経験を生かして木版画による戦争絵、美人画、花鳥画を多く描いてます。
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寺崎廣業が従軍したと思われる日本第二軍は、 明治37年(1904年)5月上旬に遼東半島の西岸に上陸し、5月25日には金州・南山に 布陣するロシア軍を攻撃しています。
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従軍していた時に当時は管理部長「橘周太少佐」、のちの軍神、橘大隊長と知り合ったとのことですが、健康を害して3か月で帰国しています。非常に短い期間の従軍でした。
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寺崎廣業の作品はその落款の「業」の書体から「二本広業」、「三本広業」と区別されていますが、だいたい四回ほど書体を変えているとのこと。「二本広業」が明治35年頃から42年頃までの7年ぐらい、以後は「三本広業」です。三本の方は、頼山陽の書体の影響だともいわれています。
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落款の書体と絵の題材から時代は一致しています。
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従軍していた時か従軍後の明治37年頃の作品と推察されます。
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1898(明治31)年に東京美術学校の助教授になりますが、翌年同校長岡倉天心の排斥運動が起こり、岡倉天心が辞職するとその後を追い寺崎廣業も辞職しており、その後日露戦争の従軍画家となったようです。明治40年には1回文展に大作『大仏開眼』を出品するなどしています。
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従軍期間は短く肉筆による戦争画は珍しくとても貴重のように思います。しかも四幅対で肉筆の揃いであることは貴重な作品だと思います。
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本作品の版画の作品はあるようですが、わずかに背景など微妙に違うようです。
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戦争を描いた作品に賛否はあるでしょうが、当時の画家の立場は微妙です。戦争というものは人間の立場を複雑にしますが、真はひとつ、戦争はしないこと、むろん核兵器などはもってのほかですね。
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日露戦争の勝利に沸き立つ人達には少なくても喜ばれた作品でしょうが、描いた寺崎廣業の心境は推し量れません。
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淡々と写生しているという感じの作品で、戦争を鼓舞しているふうでもないように思われます。
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いずれにしても、骨董というものは、世評や金額の評価に流されず、真贋も云々という周囲に流されず、たんたんと己の見識を高めていくことが肝要のようです。
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戦争のない、今の時代ほど趣味に興ずることができる時代が今までなかったことをかみしめながら・・・。
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父は戦地の満州からの帰還兵、義父は特攻隊、寺崎廣業は郷土出身。
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さてこの四幅対の掛け軸もまた保存箱がありません。如何にせん・・・Image may be NSFW.
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作品を整理してると、ときおりですが「こんなこをしていてなんになる」という思いにかられることがあります。時間と手間とお金が浪費するばかりかと・・。
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ただ蒐集の役割としてきちんと遺すことも大切な役割のように思います。戦争というものの現実も将来に遺せるなら一石二鳥でたいへんに大切なことかもしれません。
将来に何を遺せるかをを考えるのは、仕事でも趣味でも非常に大事なことで、そこにはすでに損得は存在し得ないものでしょう。戦争なども同じこと、国同士の損得よりも優先するものがある。中国はそれを忘れている道徳観が皆無の愚かな国。
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自分の見識の範囲で粗雑に扱われていた作品をきちんと遺せるものとしておきたいと思います。四幅対の保存箱は既製品にはないので、特注品でけっこうお高くつきました。
さて本日の作品は同じく四幅対の貴重な作品です。
寺崎廣業は宴会、旅先での席画が得意であったらしく、地方の老舗旅館などに彼の水墨画をよく見かけます。それらの作品はとるに足らないつまらない作品が多く、もう少しいい作品を飾ったらいいのにと思うには小生だけではないようです。
存命中は懐も潤沢な画家であったとみえて、千坪の邸宅を構え、欄干のついた数十畳の画室兼客間で、相撲取や芸人に取り巻かれ、庭前には篝火をたき、日本橋の美妓を大勢並べて豪奢な酒宴を張るという生活ぶりだったようです。田舎の成り上がり者の典型です。
いろんな意味での大衆文化の代表格の画家で、多作で雑な絵も多いので現在では非常に評価の低い画家になっています。「なんでも鑑定団」の評価を鵜呑みにしてはいけません。
それでもそれなりにその時代に評価されているのは、なかには良い作品をたくさん描いていたからでもあります。贋作、駄作の多い画家ですので選り好みをきちんとするといい作品があるようです。
本日はその寺崎廣業が日露戦争に従軍した時に描いた珍しい肉筆の作品です。
日露戦争従軍図 四福対 寺崎廣業筆 その54
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合箱入
全体サイズ:縦970*横385 画サイズ:縦245*横315
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1904年(明治37年)には日露戦争(1904年(明治37年)2月8日~1905年(明治38年)9月5日)の従軍画家となり、その経験を生かして木版画による戦争絵、美人画、花鳥画を多く描いてます。
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寺崎廣業が従軍したと思われる日本第二軍は、 明治37年(1904年)5月上旬に遼東半島の西岸に上陸し、5月25日には金州・南山に 布陣するロシア軍を攻撃しています。
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従軍していた時に当時は管理部長「橘周太少佐」、のちの軍神、橘大隊長と知り合ったとのことですが、健康を害して3か月で帰国しています。非常に短い期間の従軍でした。
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寺崎廣業の作品はその落款の「業」の書体から「二本広業」、「三本広業」と区別されていますが、だいたい四回ほど書体を変えているとのこと。「二本広業」が明治35年頃から42年頃までの7年ぐらい、以後は「三本広業」です。三本の方は、頼山陽の書体の影響だともいわれています。
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落款の書体と絵の題材から時代は一致しています。
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従軍していた時か従軍後の明治37年頃の作品と推察されます。
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1898(明治31)年に東京美術学校の助教授になりますが、翌年同校長岡倉天心の排斥運動が起こり、岡倉天心が辞職するとその後を追い寺崎廣業も辞職しており、その後日露戦争の従軍画家となったようです。明治40年には1回文展に大作『大仏開眼』を出品するなどしています。
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従軍期間は短く肉筆による戦争画は珍しくとても貴重のように思います。しかも四幅対で肉筆の揃いであることは貴重な作品だと思います。
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本作品の版画の作品はあるようですが、わずかに背景など微妙に違うようです。
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戦争を描いた作品に賛否はあるでしょうが、当時の画家の立場は微妙です。戦争というものは人間の立場を複雑にしますが、真はひとつ、戦争はしないこと、むろん核兵器などはもってのほかですね。
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日露戦争の勝利に沸き立つ人達には少なくても喜ばれた作品でしょうが、描いた寺崎廣業の心境は推し量れません。
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淡々と写生しているという感じの作品で、戦争を鼓舞しているふうでもないように思われます。
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いずれにしても、骨董というものは、世評や金額の評価に流されず、真贋も云々という周囲に流されず、たんたんと己の見識を高めていくことが肝要のようです。
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戦争のない、今の時代ほど趣味に興ずることができる時代が今までなかったことをかみしめながら・・・。
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父は戦地の満州からの帰還兵、義父は特攻隊、寺崎廣業は郷土出身。
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作品を整理してると、ときおりですが「こんなこをしていてなんになる」という思いにかられることがあります。時間と手間とお金が浪費するばかりかと・・。
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ただ蒐集の役割としてきちんと遺すことも大切な役割のように思います。戦争というものの現実も将来に遺せるなら一石二鳥でたいへんに大切なことかもしれません。
将来に何を遺せるかをを考えるのは、仕事でも趣味でも非常に大事なことで、そこにはすでに損得は存在し得ないものでしょう。戦争なども同じこと、国同士の損得よりも優先するものがある。中国はそれを忘れている道徳観が皆無の愚かな国。