出張帰りはお菓子のお土産が多いようです。
週末は魯山人展を見に出かけましたが、帰りについでにアンテイークモールまで出かけました。
日頃あまり一緒にいないせいか「抱っこ」とねだる回数が多く、電車の中も、展覧会場も、銀座の通りも抱っこして歩いていたら、体のあちこちが筋肉痛・・。店で骨董を見ている間は、いつものお店のご主人に息子の相手をしてもらいました。
「なにかいいのはないかな~」というご主人の言葉に、「ないね~」と息子 それを聞いていた皆さんは
本日は、以前、本ブログで「雪に備前と戯れる」(実際は信楽もありますが・・)で紹介したことのある備前の壷の作品です。
古備前壷 その2
箱入
口径約130*胴径300*底径約170*高さ360
各々作品を焼いていた備前焼の陶工は、戦国時代の戦乱を逃れるため3つの大窯、共同窯を作って焼いていおたそうです、その作品が区別できるように窯印を入れており、その窯印がこの作品では見所となっている正面に記されておりこれが景色となっています。窯印が景色なっているのがこの作品の持ち味です。
備前焼に、彫られた窯印が見られる様になったのは、一般的には、室町時代中期以降であると言われています。即ち、大窯を共同で焚くようになって、各自の製品がわかる様に手印を入れたのが始まりであろうと思われます。窯印も後代になっては、その様な目的だけではなく、自己の製品の優秀性を表示する商標の如きものに変わってきたのです。
なお備前の陶印はその大部分が共同窯に於いてその所属を明らかにするための窯印ですが、その窯印には家号を用いており、丹波では共同窯の場合には各窯の部屋のよって区別しているため窯印の必要がなく、主として作者名が彫ってあります。
窯印の書かれた場所、大きさなども多様で、室町時代後期のものは大きく、肩、胴部に彫っていますが、時代が下がってくるに従って小さく、底部に彫られるようになり、押印も桃山時代から見られるようになって、江戸中期以降は押印の方が彫印より多くなります。
いつの時代に製作された作品かは詳細は解りかねますが、本作品の特徴は
1.肩がはった状態ではないが、非常に美しい肩を形成している。
2.窯印が正面に景色となっている。
3.胴体後部に複数の輪線がある。
4.自然釉はまったくないが、土の味わいが深い。
なお備前の大型壷には丸胴型のものはなく、全て長胴形であることが特徴だそうです。備前で釉薬がわざとらしく流れている作品は小生は好みではありません。それはすでに備前焼ではないと思っています。信楽には敵いませんからね。素肌の良さが古備前の良さです。
はてさて、壷のような重いものは小生には縁の無い世界。色男は金と力はなかりけり・・、製作年代を推測できる資料はここまでです。いったいいつ頃の作品でしょうね?
室町中期から末期の古備前というところでしょうか?
備前や焼き締め関連の焼き物にスプレーで水をかけて、焼き肌をよく見せることが茶席でよくあります。
真似をしてみたのですが、すぐに水が乾いてまたすぐに水を吹く掛けたくなるものですが、これは邪道です。間違った慣習ですね。
やはり、庭にでも置いて、雨が降ったり、陽があったりするのを愉しむのが一番ですね。
雪の中に置いて鑑賞するのもいいですが・・。
燈籠との対比もまた面白い。
車庫裏に放置されていたおかげで味のあるものになりました。
どこにどう置いておくのかがいかに難しいかが改めて考えさせられます。
配置は微妙なもので人も骨董品も共通しています。
苦労した人間は味があるようで・・・、否、無垢な人間も味がある
週末は魯山人展を見に出かけましたが、帰りについでにアンテイークモールまで出かけました。
日頃あまり一緒にいないせいか「抱っこ」とねだる回数が多く、電車の中も、展覧会場も、銀座の通りも抱っこして歩いていたら、体のあちこちが筋肉痛・・。店で骨董を見ている間は、いつものお店のご主人に息子の相手をしてもらいました。
「なにかいいのはないかな~」というご主人の言葉に、「ないね~」と息子 それを聞いていた皆さんは
本日は、以前、本ブログで「雪に備前と戯れる」(実際は信楽もありますが・・)で紹介したことのある備前の壷の作品です。
古備前壷 その2
箱入
口径約130*胴径300*底径約170*高さ360
各々作品を焼いていた備前焼の陶工は、戦国時代の戦乱を逃れるため3つの大窯、共同窯を作って焼いていおたそうです、その作品が区別できるように窯印を入れており、その窯印がこの作品では見所となっている正面に記されておりこれが景色となっています。窯印が景色なっているのがこの作品の持ち味です。
備前焼に、彫られた窯印が見られる様になったのは、一般的には、室町時代中期以降であると言われています。即ち、大窯を共同で焚くようになって、各自の製品がわかる様に手印を入れたのが始まりであろうと思われます。窯印も後代になっては、その様な目的だけではなく、自己の製品の優秀性を表示する商標の如きものに変わってきたのです。
なお備前の陶印はその大部分が共同窯に於いてその所属を明らかにするための窯印ですが、その窯印には家号を用いており、丹波では共同窯の場合には各窯の部屋のよって区別しているため窯印の必要がなく、主として作者名が彫ってあります。
窯印の書かれた場所、大きさなども多様で、室町時代後期のものは大きく、肩、胴部に彫っていますが、時代が下がってくるに従って小さく、底部に彫られるようになり、押印も桃山時代から見られるようになって、江戸中期以降は押印の方が彫印より多くなります。
いつの時代に製作された作品かは詳細は解りかねますが、本作品の特徴は
1.肩がはった状態ではないが、非常に美しい肩を形成している。
2.窯印が正面に景色となっている。
3.胴体後部に複数の輪線がある。
4.自然釉はまったくないが、土の味わいが深い。
なお備前の大型壷には丸胴型のものはなく、全て長胴形であることが特徴だそうです。備前で釉薬がわざとらしく流れている作品は小生は好みではありません。それはすでに備前焼ではないと思っています。信楽には敵いませんからね。素肌の良さが古備前の良さです。
はてさて、壷のような重いものは小生には縁の無い世界。色男は金と力はなかりけり・・、製作年代を推測できる資料はここまでです。いったいいつ頃の作品でしょうね?
室町中期から末期の古備前というところでしょうか?
備前や焼き締め関連の焼き物にスプレーで水をかけて、焼き肌をよく見せることが茶席でよくあります。
真似をしてみたのですが、すぐに水が乾いてまたすぐに水を吹く掛けたくなるものですが、これは邪道です。間違った慣習ですね。
やはり、庭にでも置いて、雨が降ったり、陽があったりするのを愉しむのが一番ですね。
雪の中に置いて鑑賞するのもいいですが・・。
燈籠との対比もまた面白い。
車庫裏に放置されていたおかげで味のあるものになりました。
どこにどう置いておくのかがいかに難しいかが改めて考えさせられます。
配置は微妙なもので人も骨董品も共通しています。
苦労した人間は味があるようで・・・、否、無垢な人間も味がある