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Channel: 夜噺骨董談義
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もっと評価されるべき画家 平安長春図 下村為山筆

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最近、若い社員の幾人かが公務員試験に合格した理由などにより退社しています。地方公務員もひと手が足りないようですが、せっかく一人前になりつつある社員が退社していくのは、なんともやり切れません。もっと今の仕事の魅力を伝えていかなくてはいけない旨を痛感しています。

さて本ブログもある意味で魅力を伝える一助になってくれればと思います。こちらは骨董の噺ですが・・

本日紹介する下村為山という画家は「もっと評価されるべき画家」というか「忘れ去られた画家」というべきか、知っている方はほとんどいないかもしれません。作品の評価も数千円程度の画家ですが、絵の線が鋭く、並々ならぬ才能を認めざる得ない画家のひとりです。富岡鉄斎ほどの哲学性はないにしろ、田中一村、呉昌碩、斉白石にも劣らない画力を持つ画家と評価しているのは小生だけではないでしょう。

本ブログでは初めての紹介ですが、いい作品が入手できたので紹介します。

平安長春図 下村為山筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入 
全体サイズ:横490*縦2090 画サイズ:横330*縦1290



賛には「平安長春図 為山小隠七十画 押印」とあります。

竹は、風雨でたわんでも折れることがないところ から「平安」、薔薇はその花が四季咲くことから「長春」とも呼ばれ、花鳥画にはこうした吉祥的な意味合いが込められ、この二つを組み合わせて描かれることが多い画題です。(橋本雅邦「平安長春図」 山種美術館蔵など)。



下村為山の紹介記事より

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下村為山:(しもむら いざん)本名を純孝。別号は留華洞、不觚庵、雀蘆、俳号を冬邨、百歩、牛伴など。洋画家であり,俳人であり,後年は俳画(近代南画)の第一人者家。子規と感化し合った日本画家。865(慶応元)~1949(昭和24)年。

慶応元年5月21日松山藩士下村純の次男として松山城下出渕町(現松山市三番町)に生まれる。幼少より絵を好む。 明治15年18歳で上京,初め岡松甕谷の紹成書院に漢学を学び、のち本多錦吉郎の画塾「彰技堂」に入塾, 23歳にして小山正太郎の不同舎に学ぶ。



明治23年の内国勧業博覧会出品の「慈悲者殺生」は二等妙技賞を受賞,新鋭洋画家として活躍する。続いて24年の明治美術会春季展に「池辺秋暁」、同秋季展に「敗荷鴛鴦図」を連続出品し好評を博し、中村不折らと同門の四天王また双璧とうたわれ大いに将来を嘱望される。

その頃,従兄の内藤鳴雪を介し同郷の正岡子規と知り合い、俳句の研究に熱中する。 俳句については門弟、絵に関しては師匠格で互いに協力、啓発し合う仲となる。俳号は「牛伴」で、その腕前は子規に「学ばずして俳句を善くす、また巧緻(こうち)なり」(明治二十九年の俳句界)と評されたほど。



子規も幼少から絵を好んだが、絵画については子規も負けず、絵画についての論争はしばらく続いたが、 新鋭洋画家の専門理論には子規も歯がたたず、ついに屈服する。彼の説く写生論は子規の俳句革新に大きい影響を及ぼす。その後俳画の研究に没頭し、改めて南画を見直し、次第に日本の伝統絵画にひかれ、 ついに本業の洋画を投げうち日本画に回帰することとなる。



子規の没後は郷里に帰り,俳画の研究に没頭、俳画家として名声を博す。松山の俳句結社「松風会」の指導に当たり、子規の日本派俳句を伝えた。 後年彼は「俳句は日本特有の文芸,俳画もまた日本芸術の光」といい,古今独歩, 俳味横溢の画境を開拓し現代日本水墨画に新境地を開く。



西欧的写実性をあわせ持つ俳画で評価を得、芥川龍之介が為山の画を絶賛するところとなる。彼は一切の画流から孤立し、「赤貧洗うが如し」の一生で、世評を外にその水墨を追い続け、現代日本水墨画の創始者といわれながら、戦後の混乱期、疎開先の富山県で、昭和24年7月10日、85歳で没す。

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明治24年、正岡子規と出会ったことが彼の生涯を決めたようです。出版物の装丁・挿絵などを描いて子規に協力するようになり、やがて『ホトトギス』表紙と口絵を担当し、同じく子規に協力する中村不折のよきライバルとなりました。ちなみに中村不折の作品は小生はあまり好きではありません。



子規の没後、各地を放浪。この間に高浜虚子や河東碧梧洞らと親交を結びました。大正3年、右手に受けた障害から油絵は捨てざるを得なくなり、これが彩墨画家としての再出発ともなります。東京に居を移し数多くの作品を残しました。晩年は、細部にとらわれず、筆のタッチを存分に生かした、いわゆる破墨を重視した大胆な作風に変化していきます。



紙表具の、虫喰い跡の多くあるこの作品、絵自体は線が鋭く並々ならぬ才能を認めざる得ないものがあります。富岡鉄斎の哲学性には適いませんが、絵の表現力そのものは素晴らしいものがあると感じ購入しました。もっと評価されていい画家の一人ですね。

みすぼらしい虫食いの有る紙表具がなぜかしっくりくる作品です。このような一幅は貴重なように思います。生活の安定性よりもおのれの信念を貫き通した画家の作品がここにあります。



仕事の魅力は何なのでしょう? 安定性、給料、将来性、やりがい・・、どれもこれも大切なようですが、個々の価値観に訴えるハートのようなものが根底に必要だと思います。

コンプライアンス重視の経営を運営する側はとかく懲罰重点になりがちですが、会社というものは人で成り立ち、人の心で成り立っていることを忘れてはいけませんね。「世評を外にその水墨を追い続けた」という下村為山の気概を見習うことが必要です。



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